三番目の女性(ヒト)

※このお話はフィクション(妄想)です。

プロローグ:
 長男と観音崎のドライブにて
 「オヤジ?このクルマにお母さん以外の女の人乗せたの?」と長男に訊かれた。
 「え、うん。お前のネーチャン乗せたよ。」
 「あ、そうか。その次に乗せるヒトは?」と悪戯っぽく笑う長男、そうか次にオープンカーに乗せる女性は誰なのだろう?

 もちろん最初は配偶者、次に長女、さてその次は?って考えた時にある女性が思い浮かんだ。彼女について書いてみたい。

出会い:
 品川区東大井、今でこそイオンが出来たりシーサイドラインの駅が出来たりして、すこし流行り始めたけどWebマスターが高専に通っていた頃は京浜工業地帯の辺鄙な外れだった。ただ、Webマスターが学生の頃は現在のスカイツリーそばの駅(本所吾妻橋:ちなみにスカイツリーの開業は2012年)近くに住んでいたので、そこから都営地下鉄一号線(現在の浅草線)で都内を南下するようなカタチで通学するので、途中に浅草があったり日本橋、銀座があったりと楽しく通学出来た。
 そのような途中駅に大門がある。さらに高専に行くまでの駅は、三田・泉岳寺・品川と浅草線は続くわけだけど、泉岳寺から品川にかけて浅草線は地上に出てそこから京急になる。当時(今も)の都立高専(現在の産業技術高専=産技高専)は京急では鮫洲が最寄り駅だった。鮫洲は各駅停車しか停まらず地下鉄から乗り入れる場合はその手前の駅の青物横丁に特急が停まるようになっていた。ちなみに当時は地下鉄から京急に乗り入れ可能なのは急行以上でありその反対もそうだった。これは地下鉄から京急に行く場合はあまり意識をしない(意識するとしたら、西馬込行きと京急方面の電車の違いくらい)が京急から直接、地下鉄に乗り入れたければ急行以上の電車に乗らなければ行けなかった。その大門で高専の一年の夏休みからダイエー東京本社ビルで夜間清掃のバイトを始めた(まだ、開業直前であったその本社ビルは「軍艦ビル」と呼ばれていた気がする)。大門駅からその途中にハンバーガー屋があり、冬休みからバイトを始めた。彼女と出会ったのはそのハンバーガー屋のバイトでのことだ。

新馬場:
 彼女は新馬場に住んでいた。先の駅の続きで言うと高専までは、品川・北品川・新馬場・青物横丁・鮫洲となる。自分より二歳上で当時出会った時は高三だったわけだ。付属校に通っていたので受験とは無縁だった。バイトのシフトが重なる事があり、少しずつ話をするようになった。その中で新馬場に住んでいる事、高専に通っている事などを話すようになった。会話の中でなぜか、彼女の高専のイントネーションがコ(↑)ーセンとなっていた。「近所に住んでいるのに、おかしな発音だな。」と思ったりもしたが、いつしか気にならなくなり、これを聞くと彼女と話しているのだなと思うようになった。

山手のドルフィン:
 家業のせいか、彼女はクルマの運転がうまかった。子供用(と彼女は称していたが)のクルマがあると言うことで高三の時は既に運転していた。やがて高専の二年生、彼女はそのまま付属に進み女子大の一年生になった。文系の女子大生だから時間はある。彼女は六本木に連れていってくれたり(当時の六本木にはチューハイはなかった)、高専に迎えに来てくれたりしてドライブに連れていってくれるようになった。「山手のドルフィン」に連れていってもらったのもこの頃の話だ。女子大生の運転するクルマのナビシートでドルフィン。当時の自分が今の自分を見たら、なんていうだろ?読書習慣が身に付いたのもこの頃からだと思う。およそ高専生には似つかわしくない寺山修司だの演劇関連やちょっとピーキーな作家を愛するようになったのもここからだと思う。ただ、このように時間と空間を共有していてもお互いに恋愛感情に発展する事は無かったのが不思議であり、ある意味幸運だったかもしれない。なぜだろうと時々、反芻する。結局、男としての魅力が無い事に尽きるわけだが、お互いに長女・三男というファクターも大きかったのかも知れない。殺伐としたほぼ男子高や男兄弟の中で生活して姉のように接せられるのはある意味、恋愛感情を超えていたし貴重だった。そして当時はそれで満足していた(多分)。

三番目の女性
 車中で彼女が「オサムが運転席に座った時の隣の女の子はだれなんだろうね?」と話していたのを思い出す。まぁ、それはあっさりと高専の五年生の時に付き合っていた彼女で実現してしまうわけだが、家のクルマであって今ほど思い入れがあるわけでは無い。残念ながら(大事な事と思いつつ)童貞を捨てた時と同じでなんの逡巡もせずに誰かをヒョイと乗せてしまうのかも知れない。そんなことをナビシートでなんの夢を見ているか判らない高専二年生の長男を左側の視界に入れつつ、観音崎の帰り道の国道16号線を走りながら考えていた。